テンソルと行列が混同される理由

POINT

  • ざっくり言えば,「テンソルの成分」と呼ばれる量を「行列の形」に並べると(表記や計算で)便利なことがある,というのが一つの答え.背景には,もう少し深い性質がある.
  • 主な混乱の原因は,「行列の成分」が「2階のテンソル(1階反変1階共変テンソル)の成分」になっていることにあると思われる.

テンソルと行列の違いについて悩んだ事はありませんか?テンソルを学ぶ人の多くは

  • テンソルを導入する際に,『「行列とテンソル」は別物です』と注意があった.
  • にも関わらず,「2階のテンソルの成分を並べて行列の形で表わしている」のを見たことがある.

という矛盾(?)に出会ったことがあるのではないでしょうか.



このような議論は,「同じ」とはなにか?という定義をはっきりさせた上で行わなければなりません!

実は以下の2つの意味で「行列」と「(1階反変1階共変)テンソル」は「同じ」とみなせるのです:

  1. 「行列の成分」は「1階反変1階共変テンソルの成分」にもなる.
    • 【参考】これは「テンソルの商法則」として一般化できる.
  2. 「線形空間$V$から$V$への線形写像全体」と「1階反変1階共変テンソル全体」は,同じ線形空間とみなせる.
    • 【参考(この記事を読むためには不要です)】正確には,$\mathrm{Hom\,}(V,V)$と$V\otimes V^*$は同型であることが示せる.これは更に『「多重線形形式から成る線形空間」と「テンソル空間」の間に同型対応がつく』という主張に一般化できる:
      \begin{aligned}
      &\mathcal{L}(\textcolor{blue}{\underset{q}{\underbrace{\textcolor{red}{V,...,V}}}},
      \textcolor{red}{\overset{p}{\overbrace{\textcolor{blue}{V^*,...,V^*}}}};k) \\
      &\cong
      \textcolor{red}{\overset{p}{\overbrace{V\otimes\cdots\otimes V}}}
      \otimes \textcolor{blue}{\underset{q}{\underbrace{V^*\otimes\cdots\otimes V^*}}}
      \end{aligned}
      (詳細:テンソルは関数として理解できる - Notes_JP
この記事では,1. について解説します.
【関連記事】

テンソルと行列の関係

まず「テンソルの成分が行列の形で表される例」について触れます.そのあとで「行列の成分」が「2階のテンソル(1階反変1階共変テンソル)の成分」になることを証明しましょう.

応力テンソル

今回の議論に,応力テンソルに関する知識は不要です.しかし「テンソルの成分が行列の形で表される例」として,簡単に触れておきます.
応力$\boldsymbol{p}_n$のかかる面($\boldsymbol{n}$は法線ベクトル)

法線ベクトルを$\boldsymbol{n}$とする,ある面を考えます.この面にかかる応力(単位面積あたりの力)を$\boldsymbol{p}_n$で表します.このとき,応力$\boldsymbol{p}_n$は「応力テンソル」$\mathsf{P}$を用いて

\begin{aligned}
\boldsymbol{p}_n
=\mathsf{P}\boldsymbol{n}
\end{aligned}
と表されます(詳細は応力テンソルの導出(末尾の参考文献「流体力学」の$\text{\sect} 42$の内容)を参照).ここで,$\mathsf{P}$の$(i,j)$成分を$p_{ij}$と表すとき,$p_{ij}$は「上図の$j$軸に垂直な面における$i$方向の応力成分」を意味しています.

このように,「応力テンソル」と言いつつも,行列の形で表されていますね.

【参考:応力テンソルは対称テンソルである】
各軸のモーメントの釣り合いを考えることにより,$\mathsf{P}$が対称テンソルであること($p_{ij}=p_{ji}$となること)が示されます.従って,行列$(p_{ij})$は適当な基底を取ることにより対角化が可能です.

行列の成分の変換則

我々が示したいことは,以下のように表すことができます:
行列$M$の成分$m^i_{\; j}$は1階反変1階共変テンソルの成分になる.

【参考】
ここで,行列$M$の成分$m^i_{\; j}$は$Me_j=m^i_{\; j}e_i$で定められます($e_1,...,e_n$は基底ベクトル).この式を元に証明すると,$M$を行列ではなく「線形変換」とした場合にも,(基底ベクトル$e_1,...,e_n$に関する行列表示に対して)証明がそのまま成り立ちます.証明の中では,この式から得られる$m^i_{\; j}=f^iMe_j$という関係式を用いています.量子力学でブラケット記法に馴染みがある方は,$m^i_{\; j}=\langle e_i|M|e_j\rangle$と表すとわかりやすいでしょう(これは,数学で用いる内積の記法$m^i_{\; j}=\langle e_i, Me_j\rangle$のことです).



【証明】
基底ベクトルが
\begin{aligned}
e^\prime_i=\sum_{j=1}^n \alpha^j_{\; i}e_j
\end{aligned}
と変換される座標変換を考えます.以下では,$\displaystyle\sum_{j=1}^n$は省略し,$e^\prime_i=\alpha^j_{\; i}e_j$と表します(Einsteinの規約).

また,

  • 基底$e_1,...,e_n$の双対基底を$f^1,...,f^n$で表す
  • 行列$\left(\alpha^i_{\; j}\right)$の逆行列を$\left(\beta^i_{\; j}\right)$で表す

こととします.

このとき,双対基底の変換法則

\begin{aligned}
f^{\prime i}=\beta^i_{\; j}f^j
\end{aligned}
と表されます.

従って,座標変換により行列$M$の成分は

\begin{aligned}
m^i_{\; j}
&=f^iMe_j
=\left(\alpha^i_{\; k}f^{\prime k}\right) M \left(\beta^l_{\; j}e^\prime_l\right)\\
&=\alpha^i_{\; k}\beta^l_{\; j}\underset{\displaystyle=m^{\prime k}_{\; l}}{\underline{\left(f^{\prime k} M e^\prime_l\right)}}
\end{aligned}
と変換することがわかります.これは,1階反変1階共変テンソルの成分の変換則に他なりません.//

参考文献/参考記事

  • ジョルダン標準形・テンソル代数 (岩波基礎数学選書):「テンソルの商法則」の一般的な表式を学びたい方は,この書籍を参考にして下さい.この記事で紹介した「行列の成分が1階反変1階共変テンソルになる」という事実も,何度も例として扱われています.
  • 流体力学 (物理テキストシリーズ 9)流体力学における応力は,例えばこの文献に記述があります.
  • 応力 - Wikipedia:Wikipediaの表式は,この記事と記法が異なります.例えば,応力ベクトル/テンソルを
    \begin{aligned}
    \boldsymbol{t}=\sigma^{T}\boldsymbol{n}
    \end{aligned}
    と表しています.参照する際には,適宜読み替えて下さい.